月光条例 第22条 [千一夜の月] 21 雉も鳴かずば
まんが日本昔ばなし「キジも鳴かずば」
演出 まるふしろう
文芸 沖島勲
美術 下道文治
作画 鈴木欽一郎
月光条例話は、上の作品を基にされているようですね。
この信州新町の昔話は、次のサイトでも読むことができます。
きじも鳴かずば
(タイトルが[きじも鴫がすば]となっていますが、OCRでの読み取りミスかもしれませんね )
ところで、この話は、原話とされている「長柄の人柱」の話とはだいぶ違っています。
参照: 歌語り風土記 長柄の人柱
上のサイトを見ても分かる通り、基の話は、「ハカマに継ぎのある者を人柱にすべし」と進言したその人のハカマに継ぎがあったので、人柱にされてしまうという話だったのです。それに、この人は貧乏人ではなく長者とされています。
また、長者の娘は、「ものいはじ。父は長柄の橋柱。鳴かずば雉子も射られざらまし」と歌を詠んで、その後は幸せに暮しました。というハッピーエンドになっています。
ではなぜ、このように話が大きく変わってしまったかというと・・・・それは、信州新町の昔話には、「長柄の人柱」の他に別な昔話が組み合わさっているからではないかと思います。
信州新町の話では、お菊は病気になり、「あずきまんま」が食べたいと言うので、父親は名主の倉から小豆を盗んでお菊に食べさせますが、この部分に対応すると思われる昔話があります。
赤米の悲劇
昔あるところに、金持ちと貧乏人が住んでいた。あるとき金持ちの家の小豆が盗まれた。金持ちは貧乏人の仕業だと思い、貧乏人の子供に、昨晩は何を食べたか尋ねた。
すると子供は、「小豆の入った飯を食べた」と答えた。
そこで金持ちは貧乏人に、「小豆を盗んだだろう。」と詰め寄った。
貧乏人は身に覚えがないので、「小豆など盗んでいない」と答えたが、金持ちはどうしても承知せず、貧乏人の子供の腹を割いてしまった。
すると子供の腹の中からは、赤いエビがぼろぼろ出てきた。
貧乏人は飯がないので、エビをとって煮て食べさせていたのだが、それを子供は小豆と思っていたのだ。
西洋には、王様の食べ物を盗み食いした者を確かめるために、居並ぶ者たちの腹を裂くという話があります。また類話としては、盗み食いをしていないことを証明するために、腹の中のものを吐き出すという話や、盗み食いの罪を着せるために、相手が寝ている間に食べ物を口の周りに塗っておくなどの話があります。
また、父親の小豆盗みが発覚するのは、お菊の手マリ歌によるものでしたが、西洋の笑い話にこんな話があります。
牧師さんの羊を盗んだ男
ある男が牧師の羊を盗んだ。次の日その男の息子が、「オイラの父ちゃんは、牧師さんの羊を盗んだ」と歌っていた。
牧師はそれを聴いて、「君はとっても歌が上手だね。教会に来て、同じように歌ってくれないかね」と言った。
すると少年は、「着て行く服がないから行けない」と言った。
そこで牧師が、「わかった、着て行く服は買ってあげよう」と言うと、少年は承知した。
翌日礼拝が終わると、牧師は皆に、少年の歌を聴いてやってほしいと言った。
ところが少年が歌ったのは・・・
おいらが野原で遊んでいたら、牧師さんは、娘にキスしてた。
口止め料にお金をもらった。
この新しい服だっておいらにぴったり。
16世紀に作られた、金句集という諺を集めた本にも、次のようなものがあります。
その父、羊を盗めば、子、これを顕す。
世の中に、秘密はない心ぞ。
それから、父親は小豆盗みという、ちょっとした罪から人柱にされてしまうのですが、西洋の昔話にこんな話があります。
ペストに罹った動物たち
かつて、動物の間で、疫病が猛威を奮った。そして夥しい数の死体が溢れた。そこで獣たちは会議を開き、この災難は、自分たちの罪に課せられた審判であるというような結論が出された。
そこで、懺悔の日時が決定され、その時、最大の罪人が他の者たちのために、生け贄として死ぬことが合意された。この時、キツネが聴罪師に任命され、非常に寛大なライオンが、へりくだってまず最初に告白をした。
「私はこれまで、大いなる罪を犯してきた。たくさんの罪のない羊を殺してきたのだ。いや、一度などは、必要にに駆られて、羊飼いを喰らったのだ」
キツネはこう言った。「王様には間抜けな羊を食らう権利があるのです。それどころか、必要に際しては、羊飼いたちも食らう権利があるのです。」
このキツネの判決は、力の強い肉食獣たちの全てから賞賛された。そして、トラやヒョウ、クマやオオカミが、同様の残虐な大罪を告白した。するとそれらの告白も、先と同じように慈悲と慈愛により、弁護され全て言い繕われた。
最後に、改悛した哀れなロバは、かつて、坊さんの牧場を通った時に、あまりに腹が減っていたので、よい香りの草に魅入られて、舌の先ほどの草を食べたと認めた。ロバはこの些細な罪を深く後悔して、お慈悲を願った……。
「慈悲 だって?」キツネが大声で叫んだ。「そんな悪辣な罪を犯した者に、どうして慈悲など与えられようか? 聖職者の草を食べるとは、何たることか! 何という冒涜か! これは何とい不正であろうか! この我が友が、天の怒りを招いたのだ! かくなる上は、この極悪非道の犯罪者は、死をもって、我々全ての罪のために生け贄にならねばならぬ」
キツネはそう言うと、ロバに生け贄として内蔵を差し出すように命じた。その他の動物たちは、彼の死骸を食い尽くした。
この話は、インドの昔話が基になっています。
信州新町の昔話は、赤米の悲劇などの話が、付加されているようです。
案外、まんが日本昔ばなし が、オリジナルだったりするかも・・・・?(^^)
金魚の幽霊 [梅花氷裂]
金魚の幽霊
縄でしばられた「藻の花(ものはな)」という女性が、金魚鉢に頭を突っこまれて殺された。その恨みが金魚鉢の金魚に乗りうつって金魚の幽霊に化し、殺した蓑文太(みのもんた)という男とその女を襲うという話が江戸時代にある。
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図説日本妖怪大全 水木しげる 講談社+α文庫
というのがあるのですが、これは、山東京伝(さんとうきょうでん)作の「梅花氷裂(ばいかひょうれつ)」という作品をもとにしているのだと思うのですが・・・・
これが、ぜんぜん違うんですよね。(^^)
まず、金魚鉢に頭を突っこまれて殺されたと書かれているのですが・・・・
金魚鉢というと次のようなものが思い浮かぶと思います。

でも実は、本文には金魚鉢という言葉は一度も出てきません。
本文では、金魚槽(きんぎょぶね) あるいは、水槽(みづぶね) と表現されています。

クリックすると大きな絵が出ます。
この絵からも分かる通り、金魚が飼われていたのは、鉢ではなくて水槽だったのです。(^^)
それから死因なのですが、この女性は水槽に頭を突っ込まれて殺されたのではありません。
この女性は、縛られているのをなんとか抜け出して、水を一口飲もうと、金魚の水槽から水を飲んでいるところを見つかって、男に腹を蹴られて殺されたのでした。
それと男の名前が、蓑文太(みのもんた) となっていますが、どこかで聞いたことのある名前ですね。(^^)
「みのもんた」では、苗字が「蓑(みの)」で、下の名前が「文太(もんた)」という感じですが、本文ではこの男の名前は、
舊鳥蓑文太(ふるとりさぶんだ)となっています。
つまり、苗字が「舊鳥(ふるとり)」で、下の名前が「蓑文太(さぶんだ)」ということです。

舊鳥蓑文太(ふるとりさぶんだ)
桟(かけはし)と姦通(かんつう)して
寝所(しんじょ)へしのび
藻(も)の花(はな)を
害(がい)す
もの花(はな)
の怨魂(ゑんこん)
金魚(きんぎょ)に
着(ぢゃく)す
窓のところにいる女性は、食事の用意などをする11才・12才の少女で、夜、厠に行った時に、たまたま事件を目撃してしまいます。
次に、凄惨な殺人の描写を見てみます。
足をあげて藻の花が横腹をしたたかに蹴たりければ、嗚呼(ああ)痛哉(いたわしきかな)、たちまち横腹破(よこはらやぶ)れて破目(やぶれめ)より血に染まりて、生れ出(いで)しは男子(なんし)とみえ、いまだ月はたらずといへども五輪尽(ごりんことごと)く具(そなわ)りて、唯目(ただめ)をあかざるのみ。
胞衣(えな)の緒を口にくわえてはらばい出(いで)、うぶ声を一声(ひとこゑ)あげつるが、桟(かけはし)はこれを見てますます妬(ねたみ)のおもい胸にあふれ、情けなくもそのみどり子をとらえ、咽(のんど)をしめてぞ殺(ころ)しける。誠是悪鬼(まことにこれあくき)にもまされる所行(ふるまい)なり。藻の花は呀(あ)と一声(ひとこゑ)さけび血を吐きてその侭(まま)息は絶果(たえはて)けり。
次に、藻の花の怨魂が、金魚に乗り移るところの描写を見てみます。
さて藻の花が吐きたる血、金魚槽(きんぎょぶね)のうちに流れ入(いり)て、水にまじわるとみえしが、たちまち一陣の冷風さっとおとし来て、庭木の梢(こすえ)を吹きならし、水槽(みづぶね)の水、ざはざはとなりうごき、怪直哉(あやしいかな)、藻の花が吐きたる血、あまたの金魚の身にしみこみ、斑(まだら)の紅魚(こうぎょ)すべて人血(じんけつ)の色に変じ一(ひと)しお濃紅(こきくれなゐ)の色となり、眼(まなこ)をいららげ、頬をふくらし、腹はたかくさし出(いで)て、妊婦(はらみをんな)の腹のごとくになり、尾さき乱れて、さかしまに打ちかふり、憤怒の勢いをなし、狂いめぐりて水を吐形成(はくありさま)おそろしなどもいうべからず。
正是(まさにこれ)、藻の花が怨魂(えんこん)金魚(きんぎょ)に還着(げんちゃく)したるに疑いなし。
これ後(のち)の世にその種(たね)をつたへて獅子(しし)と称じ或いは乱中(らんちゅう)と称じてもてあそぶ一種の金魚これより始りけるとかや・・・
最後の方に、ランチュウの由来について書かれていますが、金魚そのものも、中国から日本に持ち帰ったのは、作中人物の粟野十郎左衛門(あわのじゅうろうざえもん)ということになっています。
粟野十郎左衛門は、禅僧の絶海禅師(ぜっかいぜんじ)の供をして、明に渡った折に金魚の美しいのを見て、日本に持ち帰ろうとします。しかしこの時、絶海禅師は次のように戒めます。
この魚(うお)珍奇美麗といえども、薬品にあらず。食物にあらず。ただ見るのみの玩物なり。たずさえること無役なり。
しかし、粟野十郎左衛門は、これに従わず金魚を日本に持ち帰ります。このことにより、金魚にまつわる因縁話が繰り広げられることになるのです。
もう少し続く予定です。